「いろは歌」カテゴリーアーカイブ

ゐ、ゑを含む四十八文字使用、今様形式

源氏物語いろは歌

1 序 光源氏 (序のみ48文字使用)
浅き夢見し常の世を
触れてそ散りぬ柔肌え
色経む前と頬薄化
急かる恋にもなびくらん

 

2 桐壷 (以下46文字使用)
長恨歌 許せぬ嫉(そね)み
他人(ひと)の目を
避けば労ふえ 耐へて泣くらむ
桐壷あわれ 病に死すも
  
3 六条御息所
愛壊れむと 寝泣きて臥す姫
散りける露や そよぐ炎(ほ)も
うろたへば
身を変えぬらし
怨の魔にさせ  

 

 

4 空蝉
目に夏舞うは
胸誘いたる澪の末
一夜を経ぬも分かちけり
逢ふ関路悔し
惚れて越ゆらん

 

 

5 紫 (御法)     09/05/04
手取りしも
闇打つ雨耐えん間に
命こぼれぬ日よ
「紫、」
瀬を分け船は
逝く末愚かなる

 

 

  6 匂宮   08/08/24
天つ世の天子
立ち来る香り添え
拡む名さへ匂宮
欲すれど消(け)ゆも
わき目ふらぬ恋せねば

 

 

 7 薫    08/08/24
帰依せんも
娘二人現れて
なさぬその恋常に引け
朧夜憂しと
山道へ行くは薫(かをる)

 

 

 8 浮舟   09/05/09
夢裂け散りて
恩に背くや
明日を選べぬ星持つ我よ
人形(ひとがた)祈るころ
憂き舟波間馳せ

 

駿河湾恋歌

1
まだ明けやらぬ遠き富士 恋初めし日よ森の風
うつむく頬に花ゆれて 色さへ見えね忘る宴

                     まだあけやらぬとおきふぢ こいそめしひよもりのかぜ 

                         うつむくほをにはなゆれて ゐろさへみえねわするゑん

2
帰る千鳥を追ふ夕陽 三保松原の忘れ雨
絶えて音なくも世に生きぬ 遠路清けし恋ぞせむ

                          かえるちどりをおふゆうひ みほまつばらのわすれあめ 

                            たへてねなくもよにいきぬ ゑんろさやけしこゐぞせむ

 3
久能てふ山なを遠路 遥けき道と覚えたり
夢路も逢わね添えぬ世に 流離ひ疲れ憩いせむ

                      くのうてふやまなをゑんろ はるけきみちとおぼえたり 

                          ゆめじもあわねそえぬよに さすらひつかれゐこいせむ

4
添ふ風温み湾の春 すべてを厭う寝覚めなり
惚れむ想いや岐路に立ち 恋ゆゑ辛し夜明けまえ 

                        そふかぜぬくみわんのはる すべてをいとうねざめなり 

                           ほれむおもゐやきろにたち  こひゆゑつらしよあけまえ

5
今は帆を揚げ舟の波 空に消えゆく鳥たちよ
鳴声さへ責めむ移ろひて 知れぬ想いや駿河湾

                        いまはほをあげふねのなみ そらにきえゆくとりたちよ 

                           こゑさへせめむうつろひて しれぬおもゐやするがわん

有間皇子 結び松に

有間皇子に
浦風強き岩代に 皇子や思いを結ぼへる
解けぬ小枝は苦念あれ ゆふてな秘めそ散りの前 

うらかぜつよきいわしろに みこやおもゐをむすぼへる 

とけぬさえだはくねんあれ ゆふてなひめそちりのまゑ

有間皇子は若干17歳で策略に落ち刑死した悲運の皇子。

万葉集第2巻、挽歌の部の冒頭に皇子の歌二首が載る。

岩代の浜松が枝を引き結びま幸(さき)くあらばまたかへり見む

作品はこの歌を題材にした。

結局皇子はこの松の枝を解くことが出来なかった。

この有間皇子事件の経緯は「気になる歌」カテゴリーの「わが背子がい立たせりけむ 額田王の難訓歌」の中で触れているので、ご覧ください。

 

姉へ「辞世の歌」

大津皇子に擬えて
悔い断ちて今日泉路へ行かむ 恨まぬも目寂しや
吾消えつ世をなほ一人 居はする姉の故にこそ

くゐたちてけふせんろへいかむ うらまぬもめさみしや 

われきえつよをなほひとり おはするあねのゆゑにこそ  07/07/15 

大津皇子は天武天皇の皇子。

文武両道に長け、特に漢詩は大津皇子から始まったと言われるほど。

天武天皇崩御の直後謀反容疑で逮捕処刑される。

逮捕事由が届け出無しに伊勢神宮に参拝した事だったり、処刑に至る経緯などを含めて極めて不自然なことが多く、これは皇后鵜野讃良の陰謀との説が有力である。

作品中の「泉路」は冥途に向かう道のことで、皇子が死の直前に遺した「臨終」と題された五言絶句の一節、「泉路賓主無し」から引用した。

「泉路賓主無し」

あの世に向かう道には迎える者(主)も行く者(賓)も居ない。

たった一人で暗い冥途への道を歩まなければならないという、皇子の悲痛な思いがこの一節に読み取れる。

弟へ「挽歌」

大伯皇女に擬えて
夕陽な落ちそ二上に 月出ぬ里へ背子送り
姉し吾居んまほろばの 安らめる家四方え消む

 ゆうひなおちそふたかみに つきでぬさとへせこをくり 

あねしわれゐんまほろばの やすらめるいゑよもえけむ  07/07/22

大伯皇女は大津皇子の姉で、母太田皇女が早世したため、姉弟二人だけで幼少期を過ごした。

大伯皇女は史記に残る最初の伊勢斎王である。

大津皇子の謀反事件の切っ掛けとなった伊勢参拝は斎王である姉を訪ねたのだが、大伯皇女にとってその故に弟が刑死したことはより以上に悲しみを増す要因となった。

この日の最期の別れを大伯皇女は歌に遺している。

我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし

 

暁(あかとき)は深夜の2時頃というから、この二人は4時間ほど別れを惜しんで外の露に濡れながら立っていたことになる。

この歌以外にも大津皇子の亡骸を二上山に移葬する時の歌等、全六首が納められている。

 

追憶

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理由なき愁いニコラヰは 錆びたる碧朧雨
悔やまぬ術を分む知恵 熱もて更けし千の夜ぞ

 ゆゑなきうれいにこらゐは さびたるみどりおぼろあめ 

くやまぬすべをわかむちえ ねつもてふけしせんのよぞ

学生時代ニコライ堂の隣の棟での教室からは、目の前にあの碧色のドームが見えた。

窓のすぐ横にある、非日常的な、ある種異様な美しさに思わず見とれていた記憶がある。

一歩外の通りに出れば、そこここに学生集会の張り紙や立て看板が立ち並び始めていた。

60年代の激しい学生運動の予兆が現れ始めていた。

ちゅうまえんだ

ちゅうまえんだ蔦這ふも 家の樹妖しく裂けぬ
なぜ愚かに笑みて目逸らす
今宵ひとり寝
吾を葬むれ

ちゅうまえんだつるはふもいへのきあやしくさけぬ 

なぜおろかにゑみてめそらす こよゐひとりね わをほむれ   07/10/21 

大晦日

家、屋根暮れぬ夢見ごろ。
酒を得て言う。
 「新しき春迎ゑんと松の背に富士も粧ひ座すなり」

  ゐえやねくれぬゆめみごろ さけをえていう  

 あたらしきはるむかゑんとまつのせにふぢもよそほひおわすなり

亥年を迎えて

老い松浦を吹く風に
散るも縁なれ弱音来ぬ
耐ゑゆけばこそゐとし雨
ほろり部屋さす日の出見む

 おいまつうらをふくかぜに ちるもえんなれよわねきぬ 

 たゑゆけばこそゐとしあめ ほろりへやさすひのでみむ