源氏物語39帖 「夕霧」より

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夕霧
来し仲や来泣きし仲や以後問うと恋や悲しき無きや悲しき

きしなかやきなきしなかやいごとうとこいやかなしきなきやかなしき

 

源氏への裏切りの罪に怯えていた柏木は、不義が源氏に知られたことを知り、病に倒れ亡くなってしまう。

柏木の親友夕霧(源氏と葵の子)は残された柏木の妻、女二宮(落葉の宮)の世話をするうち恋心が芽生え、妻として迎えるが二宮は夕霧を受け入れようとはしなかった。

写真は国宝源氏物語絵巻夕霧の帖。夕霧の正妻(雲井の雁)が落葉の宮からの手紙を取り上げ隠してしまう。

源氏物語13帖 「明石」より

光源氏
そこここに生す春草に潮の香の星に探るは住むにこここそ

そこここにむすはるくさにしほのかのほしにさぐるはすむにこここそ

 

須磨に大嵐が来て、源氏はもう死ぬかと思ったところ、晴れ間に一艘の船が浜辺にやってきた。

それは明石に住む明石入道の船だった。

入道は源氏が須磨に退居したことを知り、これは仏の御導きと思い、源氏を自邸に招くためにやって来たのだった。

入道は自分の娘明石を源氏の妻に迎えてほしいと願っていた。

この明石と源氏の間の娘が後に明石中宮となる。

 

 

源氏物語4帖 「夕顔」より

夕顔
綜麻形の問いし神の瀬床果てば異世の身かし糸の誰が添へ

へそがたのといしかみのせとこはてばことせのみかしいとのたがそへ

 

夕顔は身の上を明かさなかったので、源氏もどこの誰とも明かさずに夕顔の許へ通っていた。

夕顔は勝手にそれが源氏の君だろうと推測はしていたのだが、身なりまで変えて訪れる源氏に戸惑っていた。

ひょっとして三輪山伝説のように、この世のものでない神が身を変えて通って来ているのでは、などという妄想に囚われたりした。

三輪山伝説では活玉依比売と大物主命は糸で繋がったのだが、自分と源氏に誰が糸を結んだのだろうか。

そんな妄想のまま床を重ねたその果ては冥界に繋がっていた。夕顔は六条御息所の生霊に憑りつかれ絶命する。

 

綜麻形(へそがた)は糸を巻き付ける道具。

万葉集では三輪山惜別歌(額田王)に添える歌として、

綜麻形の林の前のさ野榛(はり)の衣に付くなす目に付く我が背

という歌がある。

ここでは綜麻形という言葉で三輪山伝説の糸を暗示している。

また榛(はり)で針を、「衣に付くなす」で神の化身の衣に糸を縫い付けたことを示している。

 

 

 

源氏物語7帖 「紅葉賀」より

藤壺
濡れまどうそこに萎るる悲し藤流るる星に去年うとまれぬ

ぬれまどうそこにしほるるかなしふじながるるほしにこぞうとまれぬ

 

源氏は母に似ているという藤壺に幼いころから恋慕の情を抱いていた。それがいつしか恋情となり、ついに男女の仲となってしまう。

藤壺は源氏の子を宿し、桐壷帝を裏切った罪を抱えて苦悩する。

その不義の子が後に即位して冷泉帝となる。

源氏は晩年、正妻女三の宮が柏木と不義をはたらき、その二人の間の子を我が子として抱くことになる。

まさに因果応報、その子供が後の薫である。

 

むささびは木末求むと    志貴皇子の歌(2)最終回

ある本に古代の猟師の猟法についての記述が有り、それによるとむささびの猟法は次のようなものだそうだ。

「むささびは木に穴をあけてそこを巣にしている。身に危険を感じるとむささびはまず木の高い方へ駆け上り、そこから別の木に飛び移ろうとする。その習性を知っている猟師はむささびの巣を見つけると、まず木を叩いてむささびを驚かせる。飛び出したむささびが木の端まで駆け上がった所を狙って撃ち落とす」

志貴皇子がむささびの猟を歌にするからには、この猟師のやり方を知っていたはずである。

そうとすればこの歌の本当の意味は、

「巣の中でおとなしくしていたむささびは(謀反の意思など持たなかった大津皇子は)、猟師に木を叩かれて(ある人の策略で)驚いて木に駆け上がったら撃ち落とされた(謀反容疑で処刑された)」

となる。

古代の宮人たちが山の猟師の猟法の知識を持っていたとは思えない。ほとんどの人は知らないだろう。

この歌の巧妙さはそこにある。つまりそれを知っている人にのみ真意が伝わり、そうでない人には逆の意味になる。

皇子の生きている時代の人には本意を知られたくなかった。ただ後世に伝わればそれで良かったのである。

だから私が訳すとしたら、

「むささびは高い木の上に追いやられて、山の猟師に遭ってしまった」である。

 

むささびは木末求むと    志貴皇子の歌(1)

志貴皇子 万葉集巻3 267
むささびは木末(こぬれ)求むとあしひきの山のさつをにあひにけるかも

むささびは高い木の上に登ろうとして山の猟夫に遭ってしまった。

 

これは岩波の『新日本古典文学大系』の訳文である。意味としてはこれ以外に無いという実に分かりやすい歌である。

志貴皇子は川島皇子と共に天智天皇の皇子で、壬申の乱の後は天武天皇のもと厚く庇護されてきた。

しかし天武天皇亡き後、持統天皇の時代には不遇の日々が続いたと思われる。

権力抗争の嵐の中、皇子は巻き込まれないようにじっと身を潜めていたことだろう。だから皇子の歌はどこか寂し気な陰を持つ。

数は少ないが皇子の歌はどれも名歌として知られる。

万葉集巻1 51
采女の袖吹き返す明日香風みやこを遠み徒に吹く
万葉集巻1 64
葦辺行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕べは大和し思ほゆ

 

これらは特に有名な歌だが、むささびの歌はちょっと趣が違う。

今は廃墟となってしまった明日香の里を吹き抜ける風のむなしさはそのまま皇子の心であり、鴨の羽がひに降る霜の冷たさも身に染みる実感としてのものだろう。

しかしむささびの歌はどこか冷たく言い放っている感じがする。

「むささびは木の高い所に登ろうとして猟夫に見つかってしまった」、たしかにむささびにとっては不幸な出来事だが、そこに皇子自身の思いを託すような表現は無い。

なぜ皇子はこんな素っ気ない歌を残したのだろうか。

実を言うとこの歌は、何らかの寓意を含む歌ではないかと指摘するものも多い。

となればこれは大津皇子謀反事件の直後でもあり、自分の兄、川島皇子が無慈悲な通報者として、周囲から冷たい目で見られていたことからも、このむささびは大津皇子を指しているだろうと想像できる。

となればこの歌は、「大津皇子は天皇の地位を得ようとして、捕らえられてしまった」という意味になる。

時の最高権力者である持統天皇に阿った歌になるが、果たしてそれが皇子の真意なのだろうか。

持統天皇の意に沿う歌を作るのなら、わざわざ分かりにくいむささびなどに託す意味がない。

もっと直接的な表現をした方が余程効果的に思える。

私はこの歌は、一見大津皇子を揶揄するように見せかけて、実は事件の真相を暗示する巧妙な歌だと思う。

なぜこんな表現をしたかと言えば、それはまだ持統天皇の時代だったからである。