このところある本に嵌っている。
「万葉集難訓歌 1300年の謎を解く」(上野正彦 著)という本である。万葉集の難訓歌38首の訓解にとどまらず、従来と異なった新解釈など、500頁を越える大作である。
膨大な資料から論理的に構築されたその内容には思わず引き込まれてしまう。多少でも万葉集に興味のある方には是非一読をお勧めする。
実を言うとこの本を購入したきっかけは、私のブログをお読みいただいた著者、上野正彦氏からメールをいただいた事である。
そのメールで私の疑問としていた所を解説して頂いた。
このブログの「額田王の難訓歌」(1)~(5)までをお読みいただければ分かる通り、あくまで私の疑問は「我が背子」がなぜ有間皇子ではないのかという点であった。そう断定する解説書にはお目にかかっていない。
勿論、我々と違って専門家は立場上そう安易に断定は出来ないだろうと想像できるのだが、あまりにも大海皇子に引っ張られ過ぎていると思った。
だから私の出した結論は額田王のトラップ説だった。つまり人目を避ける為に、わざと「我が背子」と書いたのではないかという事である。
これはあくまで「額田王が斉明天皇に献上した歌」という解釈によるものである。
この点について、この本では、斉明天皇の回想歌であると言う。
つまり額田王の献上歌ではなく、「額田王が斉明天皇に代わって作った歌」だとしている。
その理由としては、七番歌、八番歌、九番歌の並びが、回想歌でなければこうならないと云うものだが、詳細は是非本を読んでほしい。
この九番歌を斉明天皇の歌ととらえれば、有間皇子を「我が背子」と表記することは自然である。
それではこの九番歌が1300年もの長きにわたって解読されなかったのは何故なのか。
氏は著書で「七」の読みを「な」と読むか「なな」と読むかによって歌全体が全く違った二通りの意味を持つと結論付けている。
この歌は作者額田王の単純なトラップではなく、より高度で緻密な計算の上に成り立った奇跡の歌だったのである。
他にもこのブログに取り上げた弓削皇子や長皇子の歌についても新解釈をしている。
実に興味が尽きない本である。