冒頭に戻って、兄長皇子の警告とは何だったのか。
今となっては分かりようも無いが、あの会議で恐れず発言する様子を見れば、弓削皇子は正義感の強い、しかも熱血漢だったと思われる。
その上持統天皇から反体制と目されていれば、どんな危険が身に及んでも仕方がない。
兄が弟の身を案ずるような事態も多々あったのではないだろうか。
弓削皇子 万葉集巻3 242
滝の上の三船の山に居る雲の常にあらむと我が思はなくに
滝の上の三船山に掛かっている雲がいつまでもそこに留まることが無いように、私の命もいつまであるものではない
この歌そのままに、弓削皇子はあの会議からわずか三年後に亡くなっている。
皇子が早世したため、病弱だったという説が多いが、その根拠となっているのはこの歌のみである。
死因については史書には無い。
皇子は額田王への歌で、「昔を懐かしむ鳥でしょうか。鳴きながらこの池の上を飛んでいきます」と言っている。
つまりその鳥に自分自身を重ねているのだ。
この歌を読んだ額田王は即座に理解した。そして彼女は皇子に限りない危うさを感じ取った。
だから「その鳥はほととぎすです」と返したのだ。
ほととぎすは舌が赤いことから「鳴いて血を吐くほととぎす」などと言われる。
また別名を「たまむかえどり」とも言い、黄泉に魂を運ぶ鳥とも言われている。
「あなたはもう死を覚悟しているのですね」と言外に伝え、「私も同じ気持ちですよ」と慰めているのである。
奇しくもこの歌が額田王が万葉集に遺した最期の歌となった。