瀬は渡らずて 長皇子の相聞歌(2)

長皇子の弟弓削皇子もまたこんな相聞歌を残している。

吉野の地から明日香に居る額田王に贈った歌だ。

 

弓削皇子 万葉集巻2 111
古(いにしへ)に恋ふる鳥かもゆずる葉の御井の上より鳴き渡りゆく

昔を恋しく想う鳥なのでしょうか。このゆずる葉の池の上を鳴いて行きます。

 

それに和(こた)えた額田王の歌。

額田王 万葉集巻2 112
古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我がもへるごと

昔を恋しく思うその鳥はほととぎすです。私が恋しく思っているように。

 

このやり取りは一見普通だが、なんとなく違和感がある。

明日香に隠棲している老年の額田王と若い弓削皇子とでは、付き合いが有ったはずもなく、会ったことがあるかどうかもあやしい。

そんな若者から突然こんな謎めいた歌が贈られてきて、額田王は驚いたはずである。

多くの解説書では「単なる挨拶程度のもの」とか、酷いものになると「若い弓削皇子が年老いた額田王をからかったもの」などというのもある。

そんなはずはないのである。

この歌には皇子の切実な思いが秘められていて、額田王は一目で皇子の思いを見抜いた。だから「その鳥はほととぎすです。私も同じ思いです」と答えたのだ。

皇子の歌の真意を解くカギは「吉野から送った」という事と、歌の中の「ゆずる葉」という言葉である。

吉野は天武天皇にとって特別な地であり、あの「吉野の盟会」が行われた地である。

壬申の乱の後、天武天皇は今後このような事が起きないようにと、吉野の地で鵜野讃良皇后、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、忍壁皇子、志貴皇子、川島皇子の8名で固く誓い合った。

この内、志貴皇子、川島皇子の二名は天智天皇の皇子である。

この時に皇太子は草壁皇子という事になった。

天武天皇亡き後、その誓いを皇后鵜野讃良が強引に破ってしまう。

一番有力な大津皇子を陥れ刑死させ、草壁皇子が薨去すると多くの皇承権を持つ皇子たちを抑え、自らが即位してしまったのである。

おそらく鵜野讃良はこの時高市皇子と密約を交わしたのではないかと思う。

高市皇子は最年長であり、しかも壬申の乱のときの最大の功労者だが、母親の地位が低かったため皇承順位も低かった。

鵜野讃良はそんな高市皇子を皇太子にする条件で、自らの即位に協力させたのではないだろうか。

高市皇子は実質皇太子だったのだろうが、史書に明記はされていない。

鵜野讃良の悲願は自分の孫(文武天皇)に皇位を譲る事だった。その為に何としても自分が即位し、孫(草壁の子)にバトンタッチする必要があった。

 

それらを暗示しているのが「ゆずる葉」という言葉である。

ゆずる葉は古い葉は自然に下にさがり、若葉にその場所を譲ることからそう呼ばれる。

吉野の地からの歌にゆずる葉という言葉が含まれていれば、これはもう吉野の盟会の事を言っているとしか思えない。

天武天皇という葉が落ちた後、若葉をもぎ取ってまで即位した持統天皇に対する批判が込められている。

弓削皇子は誰にも打ち明けられない思いを、かつて天武天皇を深く愛した額田王ならわかってくれると思いこの歌を贈ったのである。

 

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