擬歌三首 万葉集巻二より

柿本人麻呂の自傷歌一首と妻の応える歌二首に
死なむかは川の辺の草名は知らじ花咲く野辺の吾が墓空し

しなむかはかわのべのくさなはしらじはなさくのべのわがはかむなし

夫の待つ川今も汝は草に木に咲く花も舞い吾が夫の待つ

つまのまつかわいまもなはくさにきにさくはなもまいわがつまのまつ

雪は舞い夜半に夫来し泣かば身は悲しき松に早今は消ゆ

ゆきはまいやはにつまきしなかばみはかなしきまつにはやいまはきゆ

柿本人麻呂の自傷歌として有名な、いわゆる鴨山5首を題材にした。

この鴨山5首は梅原猛の「水底の歌」(第1回大佛次郎賞)の主要な題材となっている。

この本のテーマは謎の歌人柿本人麻呂の終焉の地はどこか、というものだが、非常に大胆な仮説を展開している。

この本の中で斎藤茂吉説を完全否定しているのだが、最近柿本人麻呂の歌自体を見直す傾向もあるようで、ひょっとしたら斎藤茂吉説もこの梅原猛説も根本から覆るのかも知れない。

これについては、いつか「気になる歌」で取り上げたいと思っている。

添ひ待たせ

添ひ待たせ信濃路のいつ問ひし橋一つ命のな死せ給ひそ

そひまたせしなのぢのいつとひしはしひとついのちのなしせたまひそ

 

古事記に大国主命が高志(こし)の国で妻問をしたとき、答えた沼川比売(ヌナカワヒメ)の歌の中に「命はな死せ給ひそ」という言葉があった。

そのまま訳せば「どうぞ命をお死なせにならないように」となる。

頭が頭痛みたいな言い方が面白くて使ってみた。

もともと「死ぬ」という言葉は「萎なゆ」からきているらしい。

命が萎びて行った末に死がある。だから「命を萎びさせませんように」という言い回しは普通の言い方なのである。

伊須気余理比賣に寄す 古事記

娶る今朝とな戸々締り閉ぢちどりましととなどける利目

めとるけさとなととしまりとぢちどりましととなどさけるとめ

 

神武紀で高佐士野(タカサジノ)行く七乙女の中のイスケヨリヒメを娶るため、神武天皇は大久米命を使者に出す。

その時の歌(方歌 五七七)の中のイスケヨリヒメの歌に、

「あめつつちどりましととなど黥ける利目」

というのが有る。

第二句以降をそのまま回文にした。

泣く来世来な

泣く来世来な また見ぬ御霊 今は舞い 三瀬なぜ罪
そは母母ぞ

 

なくよくな またみぬみたま いまはまい みつせなぜつみ

そはははははぞ

 

各句回文

一句毎が回文です。

三瀬は三途の川の別名、三瀬川のこと。

生前の罪の大きさによってより深い瀬を渡らされるという。

但馬皇女に寄す

但馬皇女に長歌一首
君の見き 山沿ふ杣や 別れ川 儚き仲は 今朝は裂け
枯れぬ木末か 離れなば 二つ身伝ふ 術も経ず
鳥鳴くなりと 眺むかな 叶はぬ花か 他人に問ひ
尽きなく泣きつ 痩せる背や な泣きそ着なな
添えぬ絹衣ぞ

 

きみのみき やまそふそまや わかれがわ はかなきなかは

けさはさけ かれぬこぬれか はなれなば ふたつみつたふ

すべもへず とりなくなりと ながむかな かなはぬはなか

ひとにとひ つきなくなきつ やせるせや ななきそきなな

そえぬきぬえぞ

 

反歌一首
いつぞつい 流る春かな 分かちがわ 嘆きそ聞けな
残し来し娘の

 

いつぞつい ながるはるかな わかちがわ なげきそきけな

のこしきしこの

 

答歌一首 穂積皇子に擬えて
山の間や 手と手持てとて 放れなば 妹をし念い
幾年と悔い

 

やまのまや てとてもてとて はなれなば いもをしをもい

いくとせとくい

 

 

一句毎が回文です。

但馬皇女は高市皇子の宮にありながら(妻)、穂積皇子と激しい恋に落ちる。この三人は実はすべて天武天皇の子であり、異母兄弟同士。

持統天皇は高市皇子の体面を慮って、穂積皇子を滋賀の山寺に遠流とします。

石原真理子復縁に 2首

色添ふは叶う復縁夫婦にとお面へ工夫なかは不揃い

いろそふは かなうふくえん めおとにと おめんえくふう なかはふぞろい   2009/2/27

 

ヒビの入る疎みし仲に戻りたり共に悲しみ同類の日々

ひびのいる うとみしなかに もどりたり ともにかなしみ どうるいのひび        2009/2/27